週刊朝日「ハシシタの本性」全文転載
(追記)
モバイルスキャナ持参で図書館に出向いて紙面を取り込みして来ました。
橋下氏が糾弾するような部落差別を助長する記事なのかどうか?
まずは読んでみないことには判断できないかと思いますので。
以下、転載元は週刊朝日10月26日号となります。
転載の例外事項として著作権法39条1項で定めてある「新聞紙又は雑誌に掲載して発行された政治上、経済上又は社会上の時事問題に関する論説」に該当する話題なんじゃないかなぁと勝手に解釈してるんですが、どうなんでしょ。
首相候補でもある橋下氏と週刊朝日との騒動について、国民的な議論の前提となる加工前の原文は誰しも読んでみる必要があると思う次第なわけで、十分な公益性をも併せ持ってる気がするんですけどね
ここら辺の解釈に詳しい方がおられたらコメント下さいませ。
2012年9月12日夕刻、大阪の中心部は水耀の平日だというのに、時ならぬ交通渋滞に巻き込まれた。ほとんどの車列は中之島のリーガロイヤルホテルに向かって流れた。
同ホテル三階の「光琳の間」で開かれた「日本維新の会」の旗揚げパーティー会場に上がるエスカレーター前は、午後6時の開場1時間も前から長蛇の列ができた。
老若男女の参加者でごったがえした会場は、人いきれで息苦しささえ感じた。主催者の「大阪維新の会」の関係者によると、1枚20000円のパーティー券を6000枚配り、当日は約4000人来場したという。
壇上に立った大阪市長の橋下徹の姿は、このホテルで最も広い会場では豆粒ほどにしか見えなかった。多くの参加者は会場の何ヵ所かにしつらえられた大型スクリーンで、橋下の挨拶を固唾をのむように見守った。
いつも通りのノーネクタイ姿で現れた橋下は、立錐の余地もない会場を満足そうに眺めて、こう口火を切った。
「どの新聞もテレビも、有識者もコメンテーターもバカばっかり。僕が2年前に言った大阪都構想が予測できなかった連中に、30年、40年後の日本を語る資格はありません」
橋下は会場の雰囲気が熱を帯びてきた頃合いを見計らって、新党のロゴマークを発表した。大型スクリーンに映し出されたマークはグリーン地に日本列島の地図が白抜きされ、そこに黒と赤で「維新」と書かれただけのシンプルというより、凡庸なデザインだった。
橋下はそれを眺めニンマリと笑って言った。
「いいですか。よく見てください。この地図にはちゃんと尖閣も竹島も北方領土も入っていますからね」
会場から大きな拍手が起きた。橋下はその余韻をしばし楽しむような表情を見せたあと、慣れた手つきでそれを制し、こう宣言した。
「さあこれから、日本国中で大戦が始まりますよ」
新党の結成宣言というより、テキヤの口上だった。その口ぶりを聞いて、昭和末期のバブル時代に一大ブームを巻き起こした細木数子という女占師が、都内の高級ホテルで開いた会費1万円の講演会を思い出した。
田舎芝居じみた登場の仕方といい、聴衆の関心を引きつける香具師まがいの身振りといい、橋下と細木の雰囲気はよく似ている。
だが、翌日の読売新聞(大阪)は1面トップでこの日のパーティーを取り上げた。それを見ながら、やれやれと思った。橋下が新党を結成したからといって、それほど紙面を割くことなのか。
呆れたのは、この日の橋下を「すごいオーラ」と報じたテレビがあったことである。このレポーターは、いったいこの男のどこを見ているのか。
薄茶色のサングラスをかけ、髪を茶髪に染めたタレント弁護士時代、あるテレビ番組に出演してコメンテーターの橋下を見かけたことがある。大変な人気者らしいが、恐ろしく暗い目をした男だな。それが第一印象だった。
橋下はテレビカメラが回るとわざとらしい作り笑いを浮かべる。だがテレビカメラが回っていないとわかると、たちまち素に戻って暗い顔に戻る。この男は裏に回るとどんな陰滲なことでもやるに違いない。
そのときの予感は、不幸にも当たった。光市母子殺害事件の容疑者弁護団への懲戒請求をテレビで煽り、大阪市職員の入れ墨調査を断行する。
テレビや講演会などでの言いたい放題の妄言を挙げていったらきりがない。能や狂言が好きな人間は変質者、いまの日本の政治で一番重要なのは独裁。
橋下の言動は、すべからくテレビ視聴者を相手にしたポピュリズムでできている。ポピュリズムといっても、それを最初に政治の世界に取り入れた小泉純一郎とは天と地ほどの違いがある。
好き嫌いは別にして、小泉の言動が「千万人とも雖も我往かん」という信念というか狂気をはらんでいたのに対し、橋下の言動を突き動かしているのは、その場の人気取りだけが目的の動物的衝動である。
ヤクザとの交友関係が発覚して島田紳助が芸能界を引退したとき、大阪府知事時代の橋下は「紳助さんはバラエティー番組の宝。僕が府知事になれたのも、紳助さんの番組(行列のできる法律相談所)に出させてもらったおかげ」と言ってのけた。
そのとき、やはりこの男はそんなおべんちゃらと薄汚い遊泳術で生きてきたのか、と妙に得心がいった。それだけに、橋下徹はテレビがひり出した汚物である、と辺見庸が講演で痛烈に批判したとき、我が意を得た思いだった。
視聴率が稼げるからといって、この男をここまでつけあがらせ、挙げ句の果てには、将来の総理候補とまで持ち上げてしまったテレビの罪はきわめて重い。
ことごとく橋下翼賛体制化したメディアの中で、この日の旗揚げパーティーの問題点をチクリと刺したのは、本誌「週刊朝日」(2012年9月28日号)の「橋下新党を丸裸にする!」という記事だけだった。
記事には「大阪維新の会」に所属する議員も所属する議員が語った、耳が勃起してきそうなこんな裏話が紹介されている。
「今回のパーティー券(1枚2万円)は、全議員に20枚以上のノルマが課せられていました。しかし、後援者に売ると、議員に販売手数料が入る仕組みになっとるんですわ(笑)。20枚を売ると1枚につき5千円で、10万円。21枚以上なら1枚1万円と高額になり、かなりの稼ぎになる。100枚以上さばき、儲けたベテラン議員も大勢おりました」
なるほどそういうことだったのか。超満員の大盛況だった割には会場に熱気のようなものが感じられなかった理由が、このコメントを読んでやっとわかった。
この会は「日本維新の会」の門出を祝ってなけなしのカネをはたく有志の集まりではなく、旗揚げパーティーでひと儲けをたくらむダフ屋もどきの連中の集まりだった。
うっかり伸びをすると、指が周りの人の目に刺さりそうに混雑した表会場を回っていると、ひとり黙々と料理を口に運んでいる老人が目についた。大阪・下町の町工場の社長だろうか。阪神タイガースの野球帽をかぶり、背中にはリュックを背負っている。
2万円分の会費の元をとろうとでもしているのか、いかにもありきたりのパーティ料理をがつがつと食べているのが、むしろほほえましかった。
今年90歳になるというこの老人に、なぜこの会に参加したのかと尋ねてみた。
すると、老人はそれには直接答えず、まず二つ折りの奇妙な名刺を差し出した。
表には「なんでもかんでも相談所所長」と書かれ、裏を返すと、「家訓 男は珍棒 女は子宮で勝負する」と書かれていた。
頭の中に「?」がブンブンと飛び交い、思わず相手の顔をまじまじとのぞきこんでしまった。こちらの不審な顔にも眉ひとつ動かさないところが、また大阪人らしかった。
この老人に話しかけて得た唯一の収穫は、橋下のパーティーにはこの種の輩たちが参集したのがはっきりとわかったことだった。
阪神タイガースの野球帽をかぶった関西弁丸出しのおっさんは、こんな話から始めた。
「橋下さんの父親は水平社あがり(被差別部落出身)で、それに比べて母親の方は純粋な人やと思う。これは私の持論なんやけど、一般的に子どもは親父の精子が80%、女の卵子が20%の割合で結合するわけや。けど、橋下さんの場合はこれが逆で、母親の卵子の割合が80%やったと思うんや。だから、橋下さんは母親が立派な人やったなと思うんですわ。お母さんは女手一つで7人の子どもを立派に育てているわけやろ」
これは7人の子どもを産んだ徹の妻と母親を混同している。徹の母親は実際には徹と4歳年下の妹の2人しか産んでいない。
精子80%、卵子20%の珍説を披露した「なんでもかんでも相談所所長」が橋下と初めて会ったのは、去年の9月だったという。
「北区の区役所で橋下さんの講演会のようなものがあってな。そこで私は、「いまの政治家にはろくなのがいないから、あなたは総理大臣になりなさい」って一席ぶったわけや。そしたら、会場はもう万雷の拍手でしたわ」
大阪出身の総理は敗戦を跨いだ鈴木貫太郎と敗戦直後の幣原喜重郎しかいない。京都出身でも戦後は東久魎宮稔彦と芦田均だけである。奈良、兵庫からは宰相は出ていない。平成以降の関西出身総理は"三本指"愛人問題で総辞職した滋賀出身の宇野宗佑がいるが、宇野を関西人と思う大阪人はまずいない。橋下への万雷の拍手は、久々の大阪出身総理に期待する拍手でもあったに違いない。
パーティー券についても聞いてみた。
「パーティー券はうちの会社(自動車部品会社を経営していたが、いまは休眠状態だという)の顧問弁護士で大阪市議会議員をやっている人から5口買ったんや。1口2万円で10万円。本当は25口買おうと思ったんや。大阪には22の区(実際は24区)があるやろ。25口買えば、大阪中が全部カバーできるやろ」
相変わらず、よくわからない答えだった。
ところで、この会になぜ参加したんですか。本題の質問に移ると、またまた頓珍漢な答えが返ってきた。
「いまの政治家は誰も戦争を知らん。だから橋下を応援しとるんや」
橋下も戦争を知りませんよ。そう言おうとしたが、「男は珍棒 女は子宮」と信じて疑わないおっさんが、橋下なら中国、韓国と戦争してくれると言おうとしていることに気づいて、それ以上聞くのはやめた。
いかにも橋下フリークにふさわしい贅六流のファシズムだと思った。だが品性の点では、新党に参加表明した政治家連中より、このおっさんの方がまだ上等だった。
国会議員というより、場末のホストと言った方が似合いそうな男たちがもっともらしい顔でひな壇に並んだところは、橋下人気にあやかっていることが丸見えで、その醜悪さは正視できなかった。
新聞は、民主、自民、みんなの党に離党届を出した衆参の国会議員7人が新党に合流した、などと政治記事らしくきれいにまとめた。だが、打算ずくでパーティー券を売ってひと儲けした市議会、府議会議員たちを含めて、こういう下品な連中は、私から言わせれば 人間のクズ という。
会場で、顔見知りのTBS「報道特集」キャスターの金平茂紀に会い、一言コメントを求められた。そこで、こんな感想を述べた。
「日本の歴史が暗転する瞬間に立ち会ったというのが、実感です。でも本当のことを言えぼ、こういう見たくもない歴史的瞬間には生きているうちには立ち会いたくなかった」
「日本維新の会」は問もなく行われる総選挙で第一党に躍り出て橋下は日本の救世主になるのか、それともいっとき騒がれるだけの関西の"衆愚の王"で終わるのか。
橋下のような男が注目を集めているのは、いうまでもなく、日本の議会政治が歴史開關以来の最低状況というより、いまや完全に機能不全状態に陥っているからである。
橋下の新党旗揚げパーティーから間もなく、民主党の代表選と自民党の総裁選が行われた。だが、どちらの政党も顔ぶれは一向に代わりばえせず、まったく期待できそうにない。
では公明党、共産党はどうか。日本の難局を突破できるとはとても思えない。「国民の生活が第一」は党名からして怪しくて信用できない。それならいっそ「日本維新の会」にでも投票する以外にないのではないか。
こういう気分が蔓延した日本は、本人が聞いたら「あんな下劣な男と一緒にするな」と墓場の下から怒鳴られそうだが、ワイマール憲法下、少数複数政党の連立内閣が乱立したため政策の安定性を著しく欠き、ヒットラー率いるナチ党が台頭する温床となった1930年代のドイツの政治状況とよく似ている。
出口がまったく見えない長期不況の中で、国民のフラストレーションはたまりにたまっている。その不満の捌け口を親方日の丸の公務員や、経済的に安泰の国会議員に向けて爆発させる橋下の手口は"ハシズム"と呼ぼれるように、たしかにヒットラーに似ている。
だが、初めに断っておけぱ、私はこの連載で橋下の政治手法を検証するつもりはない。
橋下にはこれといって確固たる政治信条があるわけではない。
橋下にあるのは、古くさい弱肉強食思想と、恵まれない環境で育ったがゆえにそれを逆バネとした自負からくるエリート実力主義、テレビの視聴率至上主義そのままの大衆迎合思想、それに受験戦争を勝ち抜いてきた男らしく一夜漬けのにわか勉強で身に着けた床屋政談なみの空虚な政治的戯言だけである。
思えば、維新の会の旗揚げパーティーは橋下のピークだった。橋下が竹島は日韓の共同管理以外ないと言ったとき、この男の大半の支持層の右翼ナショナリストを失った。
極論すれば、橋下の考えはすべて世情に阿ったテレビサイズの世界におさまってしまう。そこにこそ橋下人気の秘密がある。逆に言うなら、橋下人気の裏側には保守化する国民の集合的無意識がべっとりと張りついている。
不気味なのは、橋下の支持者たちが自分の殻に閉じこもって顔を見せないことである。彼らの多くが自分を誇示するのはツイッターの匿名世界だけである。だが、本稿でそれを分析する気はない。
そんなものは、新しいものならうんこにでも飛びつきかねないテレビ局御用達のお手軽評論家連中にまかせておけばいい。
この連載で私が解明したいと思っているのは、橋下徹という人間そのものである。
もし万々が一、橋下が日本の政治を左右するような存在になったとすれば、一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である。
そのためには、橋下徹の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげなければならない。
オレの身元調査までするのか。橋下はそう言って、自分に刃向かう者と見るや生来の攻撃的な本性をむき出しにするかもしれない。そして、いつもの通りツイッターで口汚い言葉を連発しながら、聞き分けのない幼児のようにわめき散らすかもしれない。
だが、平成の坂本龍馬を気取って、"維新八策"なるマニフェストを掲げ、この国の将来の舵取りをしようとする男に、それくらい調べられる覚悟がなければ、そもそも総理を目指そうとすること自体笑止千万である。
それがイヤなら、とっとと元のタレント弁護士に戻ることである。もっとも、一度負け犬になった男をまた起用するほど、日本のテレビは心やさしい世界ではない。それは、橋下が誰よりもよく知っているはずである。
私はそんなことを考えながら、パーティーが始まる前、橋下徹の亡くなった父親をよく知る人物に会い長時間インタビューした。
この人物は、橋下徹の父親の橋下之峯の縁戚にあたる。
彼は之峯と同じ、八尾の出身である。八尾は今東光原作、勝新太郎が八尾の朝吉を演じて大ヒットした映画「悪名」の舞台として知られた土地である。
「わし、子どもの頃、やんちゃしとってな、少年院に入ってたんや。それで、出てきたらアレ(橋下徹)の親と、ワシの知っとる人が一緒になっとった。ワシが18歳くらいのときやから、いまからちょうど50年前や。そのとき、あのオヤジは水道屋やってたんや」
−之峯は「ピキ」とか「ピッキャン」と呼ぼれていたと聞きました。そう呼ばれたいわれはごぞんじですか。
「ああ、それならワシ聞いたことあるわ。いつだったか「アニキ、なんでピッキャンなんてしょうもない名前言うてるの?」って聞いたら、「キューピーに似てるから」って言うてた。あの、人形あるやん?キューピー人形。どっかの週刊誌に「役者みたいな顔してた」なんて書いてあったけど、あんなんウソや。あんなん役者の顔やないわ。背も低いし、ドラム缶みたいにずんぐりむっくりやし」
−ケンカも強かった?
「強かった。相撲も強かった。なんでそんなに相撲強いのって聞いたら、「奈良の少年刑務所で相撲しとった」って言ってた。いまはどうか知らんけど、奈良の少年刑務所にはその昔、相撲道場があったらしい。ピッキャンは八尾の安中の生まれやけど、子ども時代から悪くて有名やったらしいねん」
橋下之峯の出身地の八尾市安中地区には被差別部落がある。
−ヤクザ組織には入っていたんですか。
「柏原に土井組系の津田組という組があった。そこの若い衆をやっとった」
拍原は之峯の出身地の八尾に隣接した同じ旧中河内郡内の町である。之峯が若い衆だった津田組の上部団体の土井組には、97年に山口組内部の抗争事件で射殺された山口組若頭の宅見勝も若い頃に出入りしていた。
−ピッキャンは博打はしましたか。
「ワシ1回、河内の志紀の方にあった博打場の手配師から、来てくれって呼ばれたことがあるんや。そのときピッキャンが博打場でケンカしとったの覚えとる。ケンカの相手は無期懲役で仮釈放されよった男やったけどな。その男が女に手を出そうとしたとき、ピッキャンが血相変えて相手をどつき倒したんや。橋下がテレビで相手をめちゃめちゃ言うて負かしてしまうのは、ピッキャンの血や」
−ピッキャンは博打強かったんですか?
「あんまり強うない。頭かしこくないから」
−主にどんな博打だったんですか。
賽本引きとか、手本引きとか。賽の場合はツキやけど、手本引きは相手の手をある程度読まなあかんでしょ。だからアホではなかったけど、あんまり賢くなかったピッキャンは、それほど勝てんかったとちゃうかなぁ」
−入れ墨は入れてましたか。
「若い頃は、肩のところにちょろちょろっとミッキーマウスの漫画のようなものしとった。でも、自殺する10日ほど前に、安中の銭湯で会ったときはすごい入れ墨やった。そんとき、ワシ「あんな、なんなんその体?」って聞いたんや。そしたら、おっさんが「ちゃうがな。これはお前、彫師にカネ貸しとって、取りに行ったらカネない言うから、これ(入れ墨)で返しよってん」って言うんや。全身入れ墨やったで」
−どんな入れ墨でしたか。
「たぶん竜やった。背中にバーンと。ジンベエ彫り言うてね。背中から膝あたりまで入れとったわ。あれ入れようと思ったら、10万や20万じゃ入れられへん。何百万もかかる入れ墨なんちゃうか」
−自殺する5時間前にも会ったそうですね。
「会った。電話かかってきたんや。「来い」言うて。はっきり言って、頭半分狂うとった。もう、脳みそ入れ替えせなあかんような、そんな感じやった。ワシ、昔やんちゃしとったし、いろんなヤクザの知り合いおるから、シャブやってる人間は見たらすぐわかるねん。もう、目は飛んでるしな。あくる日、知り合いから電話がかかってきて、「ピッキャンがガス管くわえて死んだ」って言うから、誰だって「え〜!?」ってなりますやん」
−ところで、ピッキャンには博○(字が当てれない)という弟がいますね。
「ああ、おる。丸万土木という土建屋をやってた。その博○(同)と愛人の問に生まれた子が、金属バット殺人事件をやった。その子が加古川刑務所から出たとき、博○(同)が面倒見てくれ言うたけど、ワシ面倒見きれんと断った」
橋下徹の父親が自殺しているばかりか、従兄弟が金属バットで人を殺しているという。橋下徹の周りには修羅が渦巻いている。
私は死んだ之峯の縁戚が淡々と語る話を聞きながら、これはまごうことなく中上健次の世界だな、と思った。
被差別部落出身という境遇や、自殺、殺人という物語の重要な要素が共通しているからだけではない。中上の小説に決まって登場する「秋幸」という主人公の名前が、ピッキャンこと「之峯」という名前とどこか響きあっているように感じられたからである。
記事の中での橋下氏個人(と父親)への中傷は結構なものですけど、週刊誌ってもこんなもんでしょうし、どの政治家も、こんな修羅をくぐっていると思います。
読む方ほうだって、「週刊誌ネタ」ということで話半分に読んでますし。。。
小沢さんのときなんか、週刊誌のみならずテレビ・新聞を交えて総攻撃状態でしたけど、もし小沢さんが同様のことやったら、「言論の自由への弾圧だ」って炎上してただろうに(笑)
実家では地区のことを大人から子供まで自分の地区を含めて「○○部落」と普通に呼称してたこともあって、「部落」という発音に特段ネガティブなイメージを持たないので、感覚が麻痺してるかもしれませんけど、被差別部落のことを知らなかった(or 関心がなかった)人にまで、わざわざ部落差別の存在を知らしめるような橋下氏の行動に疑問がわきます。
(私には分かりませんが)もし、部落差別というものが存在して、それに悩んでる人がいたとしたら、橋下氏の発言こそ、自分たちに対する侮辱的な差別に聞こえると思うんですけどね。
ずっと普通に通用してた「障害者」という単語の「害」は差別用語だと言い出したり、いろいろとつまらない言葉狩りをする人が増えてきましたが、みんな字面ばっかり。
今回の件で部落差別だと騒ぐのだとしたら、日本の高速道路の登坂車線の構造だって、実は立派な差別なんですよね。
「登り坂で速度を維持できない障害車は健常車の邪魔になるから、専用のレーンを作ってやるから引っ込んでろ」って。
「急ぐ車は勝手に追い越していくから、退いたり気遣いはいらないよ。そのまま走って構わないよ」という風で追越車線の外側に付加車線を設けるのが人権国家の証かもね。