こんな「絆」はいらない 福島に漂う「逃げる」ことを許されない空気
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34462
かなり重いテーマ。。
そういう私も「絆」って言葉、きらいです。
官僚の書いた原稿を読み上げる野田 でも書いたように、「絆」からイメージするのは、ここまで物心両面で日本を破壊的な結果を招いた原発を未だに止めようにしない、まるで麻薬中毒に罹っているとしか思えない、利権に群がっている連中(立地地域を含む)たちの「固い絆」のほうですがね。
庶民相手の「絆」という単語は、どちらかというと「道連れ」「運命共同体」「鎖」的なネガティブなイメージしか持たないので。
まぁ原発中毒症の人たちの間でも「いまさら抜け駆けするなよ」「ここまできたら地獄の底まで一蓮托生だぞ」というグループ内における意味合いを持つ単語でしょうけど。
その両面からみて、昨年の漢字に「絆」を選んだ清水の和尚さんは大正解だったと思う次第です。
汚染住宅を全て破壊し更地の状態に戻したソ連ですら為し得なかった除染作業が、もっと条件の厳しい日本で出来るとは思いません。
ミッドウェー海戦で空母が全滅したのに「皇軍勝利」と報道されていた時代と今の時代に何の違いがあるというのでしょうか。
「戦闘機に搭乗して体当たりしてアメリカ軍の空母を沈めれば戦争に勝てる」と言われて無数の人々が無駄死にしました。
「そんな馬鹿げたことで勝てるわけはない」と正直かつ正しいことを言った者は「戦いから逃げたやつ」と非国民のレッテルを皆が貼りました。
今と何が違うというのでしょうか。
「賽の河原に石を積むだけの簡単な作業」が国家事業になって、これから何十兆円も注ぎ込まれる事態になれば、10年後と言われてきた日本の財政破綻は更に早まること必死でしょう。
「時々鬼が崩しにやってくる」んですから、まずは鬼を退治しないと話にならないのですが、「石を積むだけの簡単な作業」でお金が貰える話になると、作業をする人たちにとって鬼は神様に変わります。
すべては資本主義の成れの果てですが、議会制民主主義・三権分立の茶番構造も含めて、近代社会の屋台裏すべてが限界に迫ってる気がヒシヒシと感じます。
平和裏にリセットボタンが押されると良いのですが。