遊歩道にて落下木で重傷、1億9300万賠償判決
という記事を読んだ。
たまたま落下木にあたって負傷なさってしまった方は大変に気の毒であるけれど、自治体に自然道の管理責任を求めるというのは果たして如何なものかと思ってしまった。
確かに、有力な観光資源として地元が奥入瀬を活用している訳だから危険があってはいけない、という理屈も分かるけれど、場所は豪雪地帯の自然道。雪で枝が折れたり傷んだりなんてのは日常茶飯事だし、不意な落下枝を防ぐべく綺麗に剪定してしまっては、それはそれで折角の自然美が台無しだ。
社会の風潮として、自治体に対する損賠賠償請求を安易に行う傾向が強まっていると感じる。
自治体が自然道を整備と言っても、単に我々の税金を使って整備しているだけの話であり、より多くの整備を要求するのであれば必要な予算(税金)が増えるだけだ。
事故があって訴訟を起こされて自治体が賠償金を払うと言っても、我々が払っている税金で払うだけの話だ。
造幣局が必要な分だけお金を作って使っているならいいが・・・って全然よくないけれど、今でさえ必要とされる予算が足りなくて毎年借金を増やしているわけだから、賠償金と言ったって結局は自分たちの子孫が払うことになるお金だ。
何か歯車が狂ってないかい?日本人!って感じが最近とてもしている。
どこまで過保護を求めるのか
そりゃ事故に遭って喜ぶ人はいないけれど、ある線のところで天命と割り切って災難を受け入れる必要があると思うし、それを金銭的な面でカバーするのが保険だ。
奥入瀬渓流の遊歩道が、どれくらい 登山道チック なのか知らないのだけれど、やたらと 道 の管理責任を問うては、逆に 道 の安全性がより低下すると思うのだ。
「管理責任を負って賠償金を払うことになっても道を整備する」なんて、自然道相手にはあり得ない。
「管理責任を問われるくらいなら最初から整備なんてしない」って考えるのが普通だ。
観光資源的に有益と見込まれた 道 は、その周囲も原形をとどめないくらい徹底的に整備され安全になり、それ以外は誰しもが手を引いて、益々荒れて危険になって、素敵な、歩いてみたい 道 が減っていってしまったりしないだろうか。
伊藤新道の復活を願っている自分には、ちょっと寂しい話だ。
自分にあっては、落石に遭ったときには、例え他人が落した人工落石であったとしても、それが天命だったのだと受け入れられる心でありたい。