目指せ45歳で定年
定年を65歳から70歳にする、定年延長の話を巷で良く耳にする。
少子高齢化もあって定年延長化の流れは仕方ないと思うが、自分に限って言えば70歳まで働きたいとは全く思えない。
「ボケ防止を兼ねての仕事」という風であれば全然かまわないが、必要に迫られての仕事(仕事をしないと生活できない)という状態は絶対に嫌だ。
自分を含めた30代は正に「搾取される世代」だ。
稼いだ給料の1割強(会社負担分を含めた総額では3割弱)を社会保険という名の下に今を優雅に生きる元気な老人達に大盤振る舞いしている。
年金を得て優雅に生活している老人達から言わせれば、「過去に保険料を納めてきたのだから当然にして年金を受け取る権利がある」と主張するだろうけど、納めてきた保険料の合計金額に比べれば貰えている年金額は遙かに多い。
確かに仕事をきちんとして税金や保険料を納めてきたのだから言い分も分かるが、それと同時に、実に馬鹿な政治家たちを応援し、日本がこれほどまでの大借金帝国になり果てようとも、その時の自分たちの豊かな生活を優先させることに執着してきた世代でもある。
それなのに「ここまで日本を豊かにしてあげたのだから」と言って年金をシッカリと受け取ろうとする。
この豊かな日本を、自分たちの生活を犠牲にして無借金で築き上げてくれたのであれば、私たちはその年金原資を喜んで負担しようという気持ちになるだろうが、あいにく現実はその正反対だ。
借用書がセットになってるプレゼントなんて、誰も喜ぶわけがない。
それでもなお、自分たちが将来に受け取れることにはならないだろう(少なくとも納めた保険料に見合う分は貰えないだろう)年金のために、私たちが毎月何万円もの保険料を払い続けなくてはいけないという現実は変えようがない。
有権者の大部分が「近いうちに年金を受け取る人」になりつつある今、そうした「既得権益」を「子供世代のため」に自ら棄てようと思う奇特な老人は皆無だろう。
今月から徴収の始まった末期高齢者医療制度の天引制すら、侃々諤々(カンカンガクガク)の状態なんだから。
私たちは、いわゆる「定年」まで搾取され続けないといけない宿命を背負っている。
定年まで搾取され続けることから逃れることが出来ない以上は、その「定年」を早く迎えないといけない。
できれば50歳、可能であれば45歳に定年を迎えたい。
周りの人よりも15年早く定年を迎えるためには、15年分の遺失給料を予め用意しておく必要がある。逆に言えば、その遺失所得さえ用意できれば、定年してから先は「生活に追われての仕事」をする必要はなくなるはずだ。
その年代の平均年収が良く分からないが、1億くらいあれば定年を15年早めることが出来るだろうか。
元本500万円からでも毎月3%ずつ増やすことが出来れば10年で1億ちょっとになる。(500万×1.03^120)
成功したら早く引退でき、失敗したら長く働く、それだけの冒険だ。リスクは少ない。